西山浄土宗について

西山浄土宗について

法然上人像

浄土系宗派の系譜(諸派もあります)

泰聖寺と柳谷観音本院である楊谷寺が属する西山浄土宗は、
広義では法然房源空(法然)上人が開かれた浄土宗の一派です。

浄土宗は長い歴史の中において、
開祖である法然房源空上人の弟子【證空】の流派「西山派」と
同じく法然房源空上人の弟子【弁長】の流派「鎮西派」に
浄土宗の中で教義的に大きく分類されました。

現在、知恩院を本山とする鎮西派は「浄土宗」と称し、
「光明寺・禅林寺・誓願寺」を本山とする浄土宗西山派は
それぞれ「西山浄土宗・西山禅林寺派・西山深草派」と称し、
総称として西山三派または浄土宗西山派と呼ばれています。

ちなみに西山浄土宗は元々、他の西山派と同様に
「浄土宗西山光明寺派」を名乗っていましたが、
1948年に「西山浄土宗」と名を改めています。

西山浄土宗総本山【光明寺】と浄土宗総本山【知恩院】

法然房源空上人火葬跡(光明寺)
▲法然房源空上人火葬跡(光明寺)

泰聖寺の属する西山浄土宗総本山である光明寺は、
法然房源空上人が初めて念仏を唱え(浄土門根元地)、
荼毘にふされた場所でもあります。

そして浄土宗総本山である知恩院は、
法然房源空上人が後半生を過ごし入寂した地に建立された寺院。

三門と御影堂は国宝。徳川家の菩提寺としても有名です。

以上のように、双方とも法然房源空上人に大変縁のある寺院です。

法然房源空上人について

法然房源空上人(絵:山本兆揚氏)
▲法然房源空上人(絵:山本兆揚氏)

法然房源空上人は平安時代末期の1133年、
現在の岡山県久米郡で生まれ、
12~14歳で比叡山に(入山の年齢は諸説あり)。

18歳で「法然房」の房号と、
師であった源光と叡空から諱(名前を1字授かる)を受け、
「法然房源空」の名が誕生しました。

1175年、43歳になった法然房源空上人は、
ただひたすらに念仏を唱える「専修念仏」を掲げ、
浄土宗を開宗されます。

その際、拠点を比叡山から、
西山浄土宗総本山である光明寺(京都長岡京市)に
移されました。

1207年には、弟子が開いた念仏法会に参加した
後鳥羽上皇の院の女房が出家し、
尼僧になったことを機に念仏停止の断が下され、
師である法然房源空上人は還俗・流罪になりますが、
1年を待たず赦免されます。

このとき70代半ばだった法然房源空上人ですが、
解放後は各地で精力的に布教をおこなわれました。

1212年、法然房源空上人は80歳(満78歳)で入滅され、
御遺骸は一時、京都東山の大谷に埋葬されていましたが、
法然房源空上人の教えを快く思わない僧侶たちによって
墓を暴こうとする企てがあることが分かり、
ご遺骸を別の場所に移しましたが、
その後、生前の縁の地である粟生の光明寺にて、
荼毘に付されることになりました。

西山系寺院は現在、名所としても有名

西山系寺院の総本山や柳谷観音本院は歴史も長く、名所として皆様に親しまれています。

光明寺

・京都府長岡京市。法然房源空上人が眠る御本廟と、美しい紅葉の名所です。
→西山浄土宗 総本山光明寺について

禅林寺永観堂

・京都府京都市左京区。数百基の照明で照らす三千本のもみじは壮観。
→浄土宗西山禅林寺派 総本山禅林寺について

誓願寺

・京都府京都市中京区。「新京極通り」にある女人往生の寺院。
→浄土宗西山深草派 総本山誓願寺について

柳谷観音楊谷寺

・京都府長岡京市。眼のご利益と紫陽花が有名。
→西山浄土宗 柳谷観音楊谷寺について

西山浄土宗の僧侶派遣等の相談について

泰聖寺では浄土宗西山各派の寺院紹介や、
僧侶派遣に関する供養サポート、総合相談窓口を設けています。

京都府、大阪府、兵庫県など近畿地方周辺にお住いの方で、
寺院の紹介、仏事の供養、葬儀、法事、法要、お参りなどの僧侶派遣(お坊さん紹介)を希望される方は、
まず泰聖寺まで御相談連絡下さいませ。

▲TOP