浄土宗西山派 寺院
西山浄土宗総本山 光明寺

| 山号 | 御本尊 | 建立 | 所在地 | ウェブサイト | 
|---|---|---|---|---|
| 報国山 | 阿弥陀如来 | 1198年 | 〒617-0811 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1 | 光明寺 | 
		長岡京市にある西山浄土宗総本山である光明寺は
		1175年に法然上人が43歳で念仏の法門を説いた立教開宗地です。
		そして1212年にお亡くなりになった際、荼毘に付された地でもあります。
	
光明寺では毎年4月19~25日、 多くの参拝者と共に法然上人の御法事(御忌)をおこないます。
		法然上人の御法事は最初、お亡くなりになった1月に行われていましたが、
		明治時代に寒さの厳しい1月から温暖な4月に移されています。
	
		現在、光明寺は紅葉の名所としても有名で、
		毎年多くの観光客が訪れ、晩秋の素晴らしい景色を楽しまれています。
	
紅葉期は拝観が有料ですが、この時期だけ釈迦堂前座「信楽庭」の拝観がおこなえます。
西山浄土宗総本山 光明寺ギャラリー









浄土宗西山深草派総本山 誓願寺

| 山号 | 御本尊 | 建立 | 所在地 | ウェブサイト | 
|---|---|---|---|---|
| 新京極山 | 阿弥陀如来 | 667年 | 〒604-8035 京都府京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453番地 | 誓願寺 | 
		667年に奈良にて建立された誓願寺は、鎌倉初期に現京都市上京区に移され、
		その後豊臣秀吉の命により現在の新京極に移転。
	
		明治時代の浄土宗西山派が統一されていた時代は北本山としての役割を担っていましたが、
		大正時代に考え方の違いで西山派が3つに分裂して以降は、浄土宗西山深草派の総本山となっています。
	
		誓願寺の特徴的な点として、誓願寺は清少納言をはじめ高名な女性が往生した寺として知られ、
		【女人往生の寺】とも呼ばれています。
	
		御本尊である阿弥陀如来像は、過去に火災で消失していましたが、
		明治時代の神仏分離を機に、石清水八幡宮の阿弥陀如来像が誓願寺に安置されるようになりました。
	
浄土宗西山禅林寺派総本山 永観堂禅林寺

| 山号 | 御本尊 | 建立 | 所在地 | ウェブサイト | 
|---|---|---|---|---|
| 聖衆来迎山 | 阿弥陀如来 | 863年 | 〒606-8445 京都府京都市左京区永観堂町48番地 | 永観堂禅林寺 | 
		"もみじの永観堂"と称されるほど、
		美しい紅葉の景色を持つ浄土宗西山禅林寺派総本山禅林寺。
	
建立して1150年以上と長い歴史を持つ禅林寺は、何度か宗派が変わりながら現在に至ります。
		真言の寺院としてスタートした禅林寺はその後、
		鎌倉時代に(奈良時代に南都六宗の一つと云われた)「三論宗」の流れをくむ寺院に。
	
		そして元々は真言宗の僧侶だった静遍僧都(1166年 - 1224年)が、
		批判をするつもりで読んだ法然上人の「選択本願念仏集」に魅せられ、
		既に亡くなられていた法然上人を禅林寺11世住職に推挙し、自身が12代に。
	
その後は西山の流れをくむ住職が続き、浄土宗西山派の寺院となり、現在に続きます。
		長い歴史から禅林寺所有の国宝重文級の文化財が多数あり、
		なかでも、御本尊の「みかえり阿弥陀像」は今も参拝者の心を惹きつけています。
	
ちなみに、寺宝は「秋の寺宝展」にてその一部が公開されています。
西山浄土宗 柳谷観音本院 楊谷寺

| 山号 | 御本尊 | 建立 | 所在地 | ウェブサイト | 
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| 立願山 | 十一面千手千眼観世音菩薩 | 806年 | 〒617-0855 京都府長岡京市浄土谷2番地 | 柳谷観音楊谷寺 | 
		楊谷寺は泰聖寺が属する柳谷観音の本院で、
		善峯寺・光明寺と並び、京都西山三山の一つとされています。
	
		古来より眼病を治すための祈願所として、
天皇家をはじめ多くの方の信仰されてきた由緒ある寺院です。
	
天皇家より下賜されたもの品物は今も残り、あじさい祭りの際には展示もおこなっています。
		空海が眼病に悩む人のために祈祷を施し、霊水にしたとされる「独鈷水」も有名で、
		今でも参拝時に自由にお汲み頂けます。
	
柳谷観音本院 楊谷寺ギャラリー













				















